〜ぺぺの衣着せぬHoney〜

改造生徒ことぺぺタスアンドロニカのブログ。

東京遠征を終えて

 


吉祥寺NEPOでの2日間のライブを終えました。

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会場に行くまでの道のり、寺山修司と九條映子が結婚式をあげた吉祥寺カトリック教会の前を通ったり、NEPOの少し先にジブリ美術館があったり(ぺぺという名前は諸説ありますが、ジブリで多くの作品の作画監督も務めた高坂希太郎さんが監督をした『茄子アンダルシアの夏 』のぺぺ・ベネンリからきている…が有力)

 

 

 

と、音楽活動において関連の多い土地柄だったので居心地がとても良かったです。

 

 

 

 


『改造生徒』の中にも収録されている

Pelt me mat union という曲があります。

 

 

 

タイトルは単純なアナグラムで、

歌詞の内容は寺山修司の幼少期や演出家の頃の話を信じられないくらい短くまとめたものです。

 

 

 

 


誰かにとっては伝説的な存在であったり、ただの変わり者であったりと、寺山自身そんなことどうでもいいはずなのに、祭り上げられもすれば馬鹿にもされる、実に多彩な人だと思っています。

 

 

イントロ開けてサンプリングされているのは

黒柳徹子さんと野田秀樹さんお二人の声です。

 

 

 

『マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや』

という寺山の詩を朗読している声です。

 

 

 

 


これは2012年第19回公演

NODA MAP『エッグ』

という作品の中で最後に野田さんが言うセリフの中のものです。

 


この作品は1940年・1964年そして2012年を舞台に、オリンピックを軸に日本とその人々が翻弄されて、引き裂かれていく人間模様の話です。

 

 

 

この作品は野田秀樹からの寺山修司への

敬意といたずら心に満ちた作品でした

 

 

 

 

 

 

私はたいした人間ではないので。

でもたいした人間ではないなりに、寺山に返答をしたい、返事を出したいと思いました

 

 

 

 


彼の戯曲

『血は立ったまま眠っている』

 

 

 

これにたいして

Pelt me mat union   

2Aの終わりで

 


『立たずとも血は流れ眠る』

 


という歌詞をかけた時に、寺山への一方的な返事が出来たと思いました。

 

 

 

 

 

 

Pelt me mat union という作品は

野田秀樹寺山修司

をサンプリングで重ねて

実に一方的で実験的な

ペペタス・アンドロニカスからの返事。

でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

寺山と同じで、私も人が好きです。

 

 

 

でも、彼よりほんの少しだけ

人の反復と習慣から外れた、

それでいて衒いのない、理性的な外された行為がもっともっと大好き。

 

 

 

音楽に映画に演劇に緊縛といったもの、全てが大好きです。

 

 

 

衝動を理性で抑えつけた

"普通"のような冷静な暴走が大好きです。

"凡庸"に見える本当の不可思議が大好きです。

"月並み"に感じる裏側の異常性が大好きです。

 

 

 

 

まだまだ、どれだけの人にそれが届くのかはわかりませんが、吉祥寺で過ごした2日間のライブはペペタス・アンドロニカスの終わりの始まりのような特別な日でした。

 

 

CDが売れるんだよ、福岡より、関東の方が。

こんなに嬉しいことはありません。

 

 

 

 

 

2日目に共演したCosmo-Shikiさんとは機材も含めいろいろなお話が出来て大変嬉しかったです。

私自身も昔から知り合いだったのではと思える場面が何度もありましたが、これはひとえにCosmo-Shikiさんの人柄だったのだろうと思っています。また早く会って話がしたい。

 

 

 

2年ほど?ぶりのトリ様とも、ようやく色々とお話が出来ました。イベントへの姿勢や音楽活動への思いなども含めて、本当に誠実で実行力が並外れていると改めて思いました。

あー会いたい。というかもっと聞きたいことがある。

 

 

 

 

 

さーて、来月からも改造改造!

 

 

今月の改造は終了!